浜松徳川武将隊

家康公エピソード

最終話 浜松を守り抜いた家康公

 家康公顕彰四百年記念事業は、いよいよクライマックスを迎えます。10月24日(土曜日)、25日(日曜日)に行われる「家康公祭り」と「家康楽市秋の陣」は、浜松におけるメインイベント。市民を巻き込んだ総がかり戦法で、浜松が家康公一色に染まり、大いに盛り上がりを見せるものと期待しています。

 

 先般のこととなりますが、7月1日の市制記念日に、德川恒孝さん(德川宗家18代当主)と武田邦信さん(武田家第16世当主)を、アクトシティ大ホールにお招きし「『徳川家と武田家』三方ヶ原の戦いから赤備えへ」と題したシンポジウムを開催しました。ご両人から、三方ヶ原の戦いの前後における家康公と信玄公の行動分析についてご意見を伺いました。

 

 「通り過ぎていく敵を見過ごしては、男が廃る」。三方ヶ原へ出陣する家康公についての德川さんのお考えでした。

 

 家康公は、信玄公の強さを十分に知り得ていました。先年、武田軍は、関東小田原にも足を踏み入れましたが、多勢を率いる武田軍の横行に、北条氏政は一戦も交えることなく見過ごしたのです。「氏政の行いは武名の瑕瑾。今、我が領地を踏み越えようとする敵に、一矢も報いず通してしまうことがあるか」。家康公は、北条の不甲斐ない行動を例に挙げながら、家臣たちを奮い立たせ、野戦に飛び出していきました。そして、大敗を喫する。

 

 だれもが予想した結果でしたが、戦では負けたものの、政治的には勝ちを収めたのかもしれません。浜松の領民たちは「ワシらのことを守ってくれた。見所のある殿様じゃ」と考えたことでしょう。一か八かの戦術でしたが、領民たちの心をつかむことができた。そこに三方ヶ原の戦いの意義があります。

 

 「武田の嫡流(直系の血筋)を守ってくれたのは、家康公である」。武田さんからのお話でした。天正十(一五八二)年武田勝頼を滅ぼした信長は武田狩りを始めます。甲斐の残党を根絶やしする考えでした。その最中、本能寺の変が起こりました。織田信長滅亡後、家康は武田家の残党狩りをせず、嫡流を江戸に置きました。徳川家はのちに武田の嫡流を高家として優遇しました。見せしめのために懲らしめた者は、いずれ敵となり、目の前に立ちはだかる。家康公は、小さな頃から人質生活を送っていたため、弱者の自覚を持っていました。こうして武田家臣団から信頼を得て、戦国最強とされる赤備えを取り込んでいったのです。

 

 徳川軍は、武田軍を受け入れてから、負けなし。最強の軍隊になりました。家康公は、信玄公を敬い、良い面も、悪い面も見本としていったようです。天下人になる素地は、信玄公と直接対決した浜松から築かれたのです。

 

 三方ヶ原の戦いを目前にしていたころ、武田軍に圧迫され続けていた家康公は、信長から、岡崎への退去を命じられます。
しかし、家康公は、信長の勧告を断固拒否。「浜松を去らば、刀を踏み折りて武士をやむべし(『武徳大成記』)」。
意地でも浜松に踏み止まったとする記述が残っています。浜松は、家康公にとって真に大切な“まち”だったのです。

 

 1年を通して掲載しました「ちょっと家康み」は、これをもって最終回となります。皆さまからたくさんの応援メッセージをいただきましたことを心からお礼申し上げます。長い間のご愛顧、本当にありがとうございました。

 

 なお、平成29年放送予定のNHK大河ドラマの主人公に「井伊直虎」が決まりました。それを記念して、次号は「ちょっと家康み」【特別編】をお届けします。ご期待ください。

 

次回予告
「ちょっと家康み」【特別編】